「のだ塩」




「のだ塩」は野田村に古くから伝わる、直煮製法で作られた自然塩です。




野田村では江戸時代から塩作りが盛んでした。
 

製塩は「直煮(じきに)出し」という製法により作られていましたが、その作業は大変な重労動でした。
生産された塩は、北上山地を越えて雫石や盛岡近在に運ばれ、米、粟、そば、豆などの穀物と交換されていました。 この塩を運ぶ人々は、牛の背につけて運ぶことが多かったので「野田ベコ」と呼ばれ、この塩を運んだ道を「塩の道」と呼んでいます。
野田村のそちこちの古い峠道には、かつて「ベコ(牛)の道」と呼ばれた狭い山道が残っています。

明治38年からは塩の専売制となります。 明治43年にはすべての製塩は廃止され、のだ塩は一旦途絶えてしまいますが、平成に入ってから村の青年部により村内のイベントで伝統的な時期に製塩を実演する活動が始まりました。

 

「ぜひ製品化してほしい」という多くの声があり、野田港に『のだ塩工房』を建設されます。
ついに本格的な「のだ塩」の商品化がスタートしました。


しかし、「のだ塩」が軌道に乗ってきた矢先、東日本大震災の大津波に襲われました。

東日本大震災の大津波から約1年、のだ塩は再び復活しました。

東日本大震災の大津波にて野田港内にあった野田塩の製造施設「のだ塩工房」は流失してしまいました。 製塩も休止数か月間は在庫を限定販売でつなぐことになりました。

それからわずか1年、平成24年2月頭、海を眼下に見下ろす高台に、新しい「のだ塩工房」が完成します。 同月6日「火入れ式」を行い、新しい窯での試行錯誤が始まりました。



震災から復活を遂げた、新しい「のだ塩工房」


野田村にある砂浜「十府ヶ浦」

たくさんの方々に応援をいただき、震災から1年となる平成24年3月12日、ついに新しい「のだ塩」が完成。名前も「のだ塩ベコの道」から「薪窯直煮製法のだ塩」に新しく生まれ変わって、ようやく観光物産館ぱあぷるの店頭で販売開始。
のだ塩は復活しました。

これからもたくさんの方々に愛される「のだ塩」を目指してまいります。

窯で薪を燃やしてつくる

燃料が重油から薪になったことによりさらに旨みたっぷりでまろやかな味わいに生まれ変わりました。


窯を温めるための薪を1本1本薪割りを行います。薪を燃やすためには乾燥させなければなりません。 薪割り、乾燥を行って、ようやく窯に入ります。

新しい窯では、燃料に津波で流された防潮林などを活用。
1本1本薪割りを行い、乾燥させて、ようやく窯で燃やせる状態になります。
燃料が重油から薪になったことにより、時間がかかり、以前よりさらに旨みたっぷりのまろやかな味わいに生まれ変わります。

 

のだ塩は手作りです。

野田塩は4日間かけ、ようやく出来上がる惜しみない手間と職人の技術により生み出されます。




海水が減ったら足し、減ったら足しを3日間繰り返し海水を凝縮させ、さらに海水をこして不純物を濾過します。

にがり成分が結晶化する前に、塩だけをすくい取ります。 塩をすくい取ったら乾燥室に運ばれ、乾燥後袋詰されます。


私達が手塩にかけた「のだ塩」です。

まろやかさと、まごころと詰め込んだ極上の味をお楽しみください。


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